毎日ワクワク&しみじみ、ぎったんばったん。

北海道住まい。亜熱帯の血を持つ、寒がりライターです。

普通でいる、ということ。

苦しんでいる誰かのために、助けになってあげたい。

そんなジレンマで、自分がぐるんぐるん、してしまうこと、ありませんか。

わたし、思いっきり、そういうタイプです。

でも、だいぶ鍛えられました。

不登校だった息子のおかげです。


結論からいえば、

いちばんだいじなのは、

だれかの苦しみを目の当たりにしても

じぶんは、普通でいることです。

それが、いちばんお互いのために効果的です。

 

どうしようもないことが起こったり、

誰かが死ぬほど苦しんでいたりしても、

他者ができることって、限られています。


そのひとのために、いっしょに苦しんでしまうと、

じぶんが、じぶんらしくなくなって、

かえって、相手を苦しめてしまうこともあります。

 

それに、ミイラ取りがミイラになってしまうと、

本当に助けが必要なとき、動けません(^^;


だから、普通に、

いつもの生活を、いつものように、

ちょっとだけていねいに、過ごしていけば、

そう、ニュートラルな、こころでいれば、

なにかのタイミングで “出番” となったとき

必要以上のエネルギーを出さずに、動くことができます。

 

 

わたしの姉は、あることから、

こころを少しずつ病んで

中学、高校のころのわたしは、

うちのなかを、ちょうど、

洗濯機の渦のようだと思ってました。

姉を中心に巻き込まれ、ぐるぐると振り回される渦のようだと。

本能的に、じぶんを守るために、

距離を取らなければ!と思いつつ、

18歳のころには、逆方向へ行ってしまいました。

 

姉を、たすけようと、思いました。

はい、ミイラ取りが、ミイラです。


だいじなのは、普通でいることでした。

じぶんが、もうだめ、と思ったときは、

距離をとりながら、

それでも、普通に

「わたしはわたし、あなたはあなた」と認める。


何十年もの時を越えて、

ようやく、それができるようになってきたかなと

おもっています。

 

ざわざわ、ざわざわ、することもあるけれど、

その日のことを、その日のように、暮らしています。