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毎日ワクワク&しみじみ、ぎったんばったん。

北海道住まい。亜熱帯の血を持つ、寒がりライターです。

気の使い過ぎの逆効果

ここ数年、おしゃれなカフェやレストランでも赤ちゃんを連れたママやカップルの姿を見るようになった。
「母親になったとたん、社会の罰ゲームに遭う」といったことを誰かが書いていたような気がするが、買い物でも電車でも、外での肩身の狭さはその通りだと思う。いつ我が子がぐずりだすか。目の前のものをガチャーンとやらないか。オムツから臭いにおいを放出しないか。気が気ではないだろう。それでも、わずかでもいいから外にくつろぎを求めたいのは、ママだっていっしょなのだ。


わたしの場合は、長男に広汎性発達障害があるから(いまやデカくなった)、さらに輪がかかっていた。飲食店どころか、スーパーへの買い物や、公園へのお散歩すらが、お出かけの用意を含めて半日近くかかる苦行であり、帰ってくるとエネルギーゼロ、いやマイナス状態の疲労困憊だった(いま振り返れば、息子も同じだったと思う)。1歳のとき、雪降りしきるなかで、スーパーの駐車場に30分ひっくり返り微動だにしない息子。2歳のときには、歩いて買い物へ出かけて息子がぐずり、スーパーの大きな袋2つを左手に下げて、泣き叫び暴れる息子を右腕に抱えて、片道10分の距離を1時間かけて歩いたことなどはいまだに忘れられない。真冬で誰も歩いていない道には、息子の泣き声だけが響きわたっていた。安室奈美恵が歌っていた「生きてるだけで精一杯~♪」というフレーズが、まさに自分ぴったりに感じられた。

そんなわたしだからっ! カフェやレストランでのひとときが、どんなに貴重なオアシスであるかを、よーく知っているのですよ。

しかし。

 

いまや、そんな赤子連れママの理解者として、カフェでやさしくほほえみ見守るはずのわたしは、気をつかうあまりの逆パターンに突入してしまう。

例えば、お店で隣のテーブルに、赤ちゃんを抱っこした女性が来る。当然のように、周囲を見回し「大丈夫かな」という表情をしている。
わたしは「大丈夫ですよ大丈夫ですよ大丈夫ですよ」の空気を作ろうとするあまり、妙にしぐさや目つきがガッチガチになってしまうのだ。ほら、気にしてないですよという雰囲気を出そうとして、すごく不自然に視線をアサッテのほうにやったり、逆に不自然な笑みを親子に投げかけてしまう。それはまるで「なんかうるさいんじゃないかしらこの親子たち。せっかくの静けさを乱さないでほしいわね」というけん制のような苦笑と非常に似ている。もちろん、先方は警戒100%。赤子がすこし「ふにゃあ」と言っただけで、やにわに立ち上がり赤ちゃんをゆらしてあやし出す。わたしは「大丈夫です大丈夫です大丈夫ですから!」の目線をさらに送るのだが、それは「あーあ泣いちゃうわ泣いちゃうわ泣いちゃうわ」と誤訳されるらしく、サッとわたしに背中を向けて、さらに懸命にあやし出す。


お願いだから、楽しんでえええ!


そんな念を送るのが、そもそもいけないのかもしれない。わたしは、さも関係ないというふうにバッグから本を出して読みはじめる。びくぅ!という先方の気配を感じる。読書といえば、図書館でも張り紙される「お静かに」がモットーというものだ。ママさんは、やにわにお茶をグイッと飲み、ケーキをさささと食べて、赤子のおむつや水筒やいろんなのが入った大きなバッグ(涙)を抱えて、レジのほうへ去っていく。あとには、ずれたお皿とティーカップが空しくもテーブルに残されている。


お願いだからママさんたち、お子さんが泣いても歩き回ってもわたしは平気です。貴重なくつろぎの時間を十分に堪能してください(涙)。「こわい顔してますが、ママさんたちを応援してます♪」プレートなんていうのを自作して、こんなときに首にかけようかな。