毎日ワクワク&しみじみ、ぎったんばったん。

北海道住まい。亜熱帯の血を持つ、寒がりライターです。

バイブルは新聞紙

わたしは活字が好きだ。おそらく、父親が新聞記者をしていたからだと思う。そして、父親は家にずっと不在だった(というか、いなかった)。父を慕っていた母は妙に難しい新聞を取り続け、おそらく7、8歳ごろには、私も訳がわからないままに日本経済新聞の細かい活字を追っていた。

 

10歳ごろには、母の配慮で読売新聞にかわり(というか、洗剤を大量にもらえたからだと思う)、わたしは興味のないスポーツと経済欄以外は毎日欠かさずに読んでいた。家庭欄の悩み相談や生活のコツでは、ずいぶんと大人の事情や知恵も学んだような。


わたしにとって、活字になったものは愛すべきバイブルだった。だから教科書も、みずから読み込み、国語も道徳もほかの教科も、すべてが正しいと思っていた。

 

中2ごろだったと思う。新聞に書いてあるすべてが、必ずしも「正しい」わけでないことに気づいたのは。読書少女だったわたしは、教科書ですら、特に国語は答えが一つではなく幾通りもの解釈ができることに気づいてしまった。しかし、そこはちゃっかりと「出題者がどういう答えを期待しているか」というカンで百点やそれに近い点数を取りつつ、内心では教科書や新聞、つまり活字という“父親”に反感を抱くようになった。つまり反抗期ですな。


やがて、「覚えればいい」というだけの要素が大きい受験勉強には、先生に向かっても断固拒否するようになった。中3の1月、私立単願でひと足早く合格が決まった友だちの家で、要らないものをたき火にすると聞いたわたしは、自分の教科書を持って行って庭でいっしょに燃やしてもらった。寒い日だったから、立ち上る炎の温かさは心地よかった。でも、途中で友達のおかあさんに「あなたは受験、これからでしょ!」と、怒られて帰されたような覚えが。

 

そんなこんなで、活字嫌いになったかと思えば、いまだにわたしは活字が好きで、活字をあつかう仕事の端くれをしている。「新世紀エヴァンゲリオン」は、リアルタイムでテレビを観たときからよく分からないが(当時は特撮系の事務所で雑用をしていた)、黒地に白抜きであの明朝体タイトルが現れると、サッと反応して凝視しまくる自分がいる。

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